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特急利尻B寝台乗車

2004年3月11日22:00稚内発→3月12日06:00札幌着

 「利尻」は札幌と稚内を結ぶ夜行列車。1958年に準急として登場し、1966年に急行に格上げ。このころからスハ45系客車にスハネ16、オハネフ12などの寝台客車を併結していた。1982年に座席車・寝台車とも14系客車になり、1991年からはキハ400/480系気動車でスハネフ14寝台客車を挟んで運行するという特異なスタイルとなった。2000年に名寄まで軌道高速化工事が完了して「スーパー宗谷」がデビューしたのを機に、利尻も特急に格上げとなり、挟むほうのディーゼルカーはキハ183系特急型気動車になった(挟まれるほうの寝台車はスハネフ14のまま)。
 北海道内には、札幌〜釧路の「まりも」、札幌〜網走の「オホーツク」、そしてこの「利尻」と、3つの「道内完結寝台特急」がある。ひとつの都道府県の中で寝台特急が走ってるのはさすがに北海道だけだろう。「利尻」は、稚内札幌396.2kmをきっちり8時間かけて走る。
 稚内での3日間の仕事は夕方5時半頃終わったが、16時53分発の札幌行きスーパー宗谷4号には間に合わないので最初からあてにしてなくて、あとは稚内にもう一泊するか、22時発の「利尻」か、23時発のバスかという選択肢になるのだが、寝台もひさしぶりなので利尻のB寝台をとった。というか、寝台といっても北斗星とかゆうづるとかはつかりとかの長距離寝台にしか乗ったことがなく、道内完結の寝台には一度も乗ったことがなかったので、ちょうどいいチャンスなわけだ。駅で発車まで4時間ほど待つことになるが、もう一泊して翌日が半日潰れる(翌朝07:37発スーパー宗谷2号は札幌12:35着)よりはいいだろう。
 というわけで終わり次第稚内駅に向かう予定だったが、稚内の所長が「飲んでいけばちょうどいい」と誘ってきた。実は前の晩もその前の晩も付き合っていたので、3晩連続も恐縮なところなのだが、所長も単身赴任でアフターファイブの稚内の夜をデフォルトで遊び倒して楽しんでいるので、せっかく誘ってくれてるのもあってあまり深く遠慮するのもかえって失礼な雰囲気だ。彼の行きつけの店には単身赴任仲間が集っていて、最北端の小さな街の不思議な夜のコミュニティはそれはそれで楽しそうだと感じた。というわけですっかり皆さんのお世話になり、21時40分ころ別れを告げて店を出る。
 さて、稚内駅はというと16時53分に札幌行きスーパー宗谷4号が出た後は、普通列車が1本、18:53にやってきて折り返し19:24に出て行くだけで、その次は22:00の特急「利尻」の出発まで駅に全く動きがない。これから8時間の寝台列車の旅を見送ろうという夜の稚内駅は、売店もやってないし駅周辺にも全くなんにもない。1日に4往復も特急が発着する始発駅だというのに、なんと寂しいことか。そのへんは下調べ済みだったので、店を出てから拾ったタクシーで駅の少し手前のセイコーマートに寄り、ビールとつまみを調達してから駅に向かう。時間的にちょっとギリギリだったのだが、焦ることはない。22:00に稚内駅を出発した「利尻」は、およそ3分で着く次の南稚内駅で、札幌からやってくるスーパー宗谷3号からその先の線路の通行権を譲り受けなければ先へ進めないのだ。スーパー宗谷3号は定刻22:16に南稚内駅にたどり着く。だから「利尻」が南稚内を出られるのは早くても22:16なのだ。もし稚内で乗り遅れても南稚内で十数分停車している利尻に、タクシーをとばせば間違いなく追いつく。だったら「利尻」の出発は22:10くらいでもいいんじゃないかと思うのだが、なんなんですかね。
 なんかギリだなと感じた感覚は杞憂だった。稚内の街に渋滞などあるはずもなく、3km離れていてもタクシーは3分とかからずスイーっと走ってしまうし、駅にはおもいっきり正面に横付けできるから改札は目の前だ。全ての動作があっという間に済んでしまう。都市の規模の差が時間感覚の差に出る。「利尻」は発車ベルも何もなしで22時ちょうどにひそやかに稚内駅を後にする。

「利尻」編成図

 列車は札幌方から4,3,2,1号車。先頭から2両目の3号車だけがB寝台のスハネフ14型寝台客車で、あとの3両は座席のキハ183系気動車。座席とはいえ、「利尻」専用に改造されたこの車両は、シートピッチが100mm広くとられているらしい。まあ、寝るからなあ。乗車率は閑散としている。座席車では1人で確実に2人分の座席を占有できるような雰囲気。B寝台も半分も埋まってない。上段のほうが荷物棚に近くてアメニティに優れるかと思ったが、うかつだった。誰も上段なんかとってるキトクな客はいない。下段にすればよかった。いちおう禁煙のはずなのだが、通路の折りたたみイスんとこででタバコ吸ってるタワケがいる。その煙は主に上段に流れ込んでくる。長旅(?)だからタバコ吸いたい気持ちもわかるけど、勘弁してくれー。せめてデッキで吸ってくれよ(デッキにも灰皿がある)。っつーか、通路の灰皿をなぜ撤去しませんかJR北海道。
 車窓から夜の宗谷本線沿線を覗くが、なーーーーーんにも見えるわけない。明かりの一つすら見えない。名寄以北は路盤も高速化されてないので、時速65キロ以下でひたすらゴトンゴトン走る。揺れだけは一丁前だ。行程は思ったより厳しい。ほとんど修行だこれは。
 というわけでさっさとビールとつまみを消費して寝る。もうそれしかない。なんか頻繁に停車してるけどいちいち気にしない。超鈍行なのは最初からわかりきってることだもの。

 というわけで朝。寝て起きたら終わりっていうだけの寝台車の旅。昔の3段寝台のころはもっとキツかったろうなあとは思うものの、昔と今で違うのは活気。昭和末期の急行利尻は座席車5両+座席グリーン車1両+3段B寝台3両+荷物車2両、なんていっぱしの長距離夜行列車らしい編成で賑わっていた。樺太に連絡していた時代はそれよりさらに活気があっただろう。ガラすきのミニマム編成の寝台特急の旅は、ただ寝るだけのなんとも味気ないものだった。

稚内駅で出発を待つ「利尻」
稚内駅で出発を待つ「利尻」

3号車にスハネフ14を挟む
3号車にスハネフ14を挟む

「利尻」B寝台
「利尻」B寝台

夜明けの座席車のみなさん
夜明けの座席車のみなさん


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