北海道新聞  
《Powered by 日経テレコン21》
ログアウト ログアウト 
ホーム / 記事検索 / 一括検索 > 条件入力 > 件数確認 > 見出し一覧 > 本文 
<iとーく@YOSAKOIソーラン祭り>問題提起*YOSAKOIソーラン祭り…
2002/06/18, 北海道新聞朝刊全道, 4ページ, 写, 2892文字 書誌情報印刷イメージを表示

<iとーく@YOSAKOIソーラン祭り>問題提起*YOSAKOIソーラン祭り どう思う
■作家 荒巻義雄さん
*街全体が劇場化
 YOSAKOIは毎年見ているが、率直に、おもしろい祭りだと思う。
 YOSAKOIはカラオケの延長だ。カラオケは、一人ひとりがまるで歌手になったような気持ちで歌えるから、ブームを生んだ。祭り期間中は街自身が劇場化するため、いい意味で踊り手の自己顕示欲が満たされているのではないか。まさに、サッカーの応援と同じで、一体感を伴うエネルギー発散の場なのだ。
 人間は常に「遊び」を求めるものだ。YOSAKOIにはさまざまな遊びの要素が含まれている。衣装をまとい、化粧を施し、会社や地域社会に縛られている自分から脱出し、非日常の世界を味わえる「異化」の要素。「だれよりも上手に踊りたい」という「競争」の要素。YOSAKOIで審査が行われるのは当然といっていい。
 ただ、賞に“権威”が付きすぎると遊びでなくなり、面白さがうせる。こうした祭りの権威化をどう払しょくしていくかが、YOSAKOIの今後の方向を決めるカギだろう。
 一糸乱れぬ踊りを「うまい」と思うか、逆に「嫌だ」と感じるか、審査基準は千差万別だ。そうであれば、複数の審査員の判断を平均して順位を付けるのではなく、一般市民やスポンサーなど、賞を選ぶ側が独自にたくさんの賞を設けたらよいのではないか。私は以前、SF小説の「荒巻賞」を創設し、独断と偏見で選んだ作品に新巻きサケ一本を贈っていた。そういうユーモアもあれば、賞の権威化も防げるのではないか。
 人間の原理として存在する「遊び」の気持ちを、外部からコントロールするのは無理だ。逆に、YOSAKOIがすべての人の心を満足させることはできない。自分がいかに妥協し、心の中で折り合いをつけていくかが大切だ。YOSAKOIが嫌いな人は、祭り期間中はあきらめて札幌を抜け出すか、いっそのこといっしょになってYOSAKOIを楽しむか、どちらかしかない。
 YOSAKOIのルールは、鳴子を持つこと、曲の中にソーラン節の一節を入れることの二つだけ。自由が祭りの底辺に流れている。自由な精神から自然発生的に始まった祭りが遊びの要素も満たしているからこそ、全国的に受け入れられ、急速な広がりを見せたのではないか。今後、世界中に広がってもおかしくない。五十年後に、ニューヨークあたりでYOSAKOI国際フェスティバルが開かれたら、と考えると楽しい。(談)
■タレント 日高晤郎さん
*心の潤い与えぬ
 あくまで私個人の好き嫌いの問題だが、あえて言わせてもらうなら、YOSAKOIは「祭り」ではないと思う。踊り手や観客の数は増え続けているが、中身は結局、学生が始めた「イベント」の域を出ていない。
 私は決して祭りが嫌いではない。祇園祭や三社祭に参加したこともあるが、街のそこかしこで酒が振る舞われたり、市民が道すがら声を掛けてくれたりする気安さや温かさがある。みこしをかつぐ人も、かつぎ手を見守る人も、みんながわくわくし、血をたぎらせる−それが祭りではないか。
 それに比べ、YOSAKOIには札幌全体が浮き立つような楽しさはない。高価な衣装をそろえ、振り付けを必死に覚える。マスゲームのようで、練習の成果を披露する踊り手だけが喜んでいる。だれもが、どんな服装でもどんな振り付けでも自由に参加できるのが、祭りのあるべき姿ではないか。「踊る阿呆(あほう)と見る阿呆…」というが、YOSAKOIには「同じ阿呆」という優しい感覚に欠け、祭りの最大の素晴らしさである「共有」がない。
 昨年、あるチームが踊り終わった後、観客に向かって声をそろえ、「ありがとうございました」と礼を言った。踊り手が、参加者ではなく出演者として、参加者という同じ立場であるはずの観客を見下ろし、観客との距離を自ら広げているように感じた。観客に踊りを“見学”させるだけで、参加させていないのだ。
 あるイベントに招かれたチームの踊り手が「今日の観客はちゃんと見ていない」と楽屋で文句を言ったのも聞いた。素人である踊り手がなぜこのようなことを言えるのか。メンバーをオーディションで選ぶチームもあると聞く。参加を制限するなんて、祭りの精神とほど遠い。いっそ「YOSAKOIコンクール」に名前を変えたらどうか。
 祭りは土地の歴史を物語る。YOSAKOIはしょせん、高知からの借り物にすぎない。二番せんじを北海道に根ざすものにできるのか。「YOSAKOI」と名乗っている以上、北海道の歴史を刻めないだろう。
 そろいの衣装とペインティングで徒党を組み、地下鉄やホテルなど公共の場における一般的なマナーも守れない踊り手も少なくない。このイベントに関係ない人を威圧し、無言にさせている。経済効果がいくらあっても、YOSAKOIは市民に心の潤いを与えていない。そうした現実を謙虚に受け止めるべきではないか。(談)
*観客200万人超 爆発物騒ぎも
 高知県のよさこい踊りと北海道のソーラン節を組み合わせたYOSAKOIソーラン祭りは、大学生らが一九九二年に始めた。第一回は十チーム、千人が参加し、観客数は二十万人。会場は札幌市中央区の大通公園と周辺だけだった。
 参加者と観客の数は年々増え、昨年の参加者は四百八チーム、四万一千人と過去最高。観客数も二百万人を超えた。
 今年は三百四十四チーム、延べ四万四千人の参加を予定しており、米国やシンガポールなど海外からも四チームが参加する。
 会場の数も大通公園や道内一の歓楽街・ススキノなど市中心部をはじめ、同市北区や豊平区など二十七に上る。
 祭りの規模拡大につれ、嫌がらせも。二〇〇〇年には大通公園で不審物が爆発し、祭りのスタッフ十人が重軽傷を負った。
 昨年は、主催者などに爆破予告の電話をかけた男性が逮捕され、祭りが一時中断した。祭りの公式ホームページに爆破予告を書き込んだ同市の高校生も補導された。
                   ◇
 18−23日に札幌市内で開かれる「YOSAKOI(ヨサコイ)ソーラン祭り」をテーマに、インターネットで読者と紙面を双方向で結ぶ「iとーく@YOSAKOI」への意見を募集します。
 祭りは今年で11回目。「迫力ある踊りは見応えがある」「街に活気が生まれた」といった声の一方、「道路の通行止めや騒音の度が過ぎている」「入賞を目指すあまり、祭り本来の楽しさが失われているのでは」との苦言も聞かれます。
 作家の荒巻義雄さんとタレントの日高晤郎さんに問題提起をしてもらいました。これに対する読者の意見を道新特設ホームページ(HP)=下記のアドレス=にお寄せください。書き込みは18日午後3時からです。はがきやファクスでも募集します。はがきは〒060・8711 札幌市中央区大通西3、北海道新聞報道本部iとーく係へ。いずれも24日正午必着。ファクスは011・210・5592へ。
http://www5.hokkaido-np.co.jp/seiji/italk_yosakoi/
この画面の先頭へ
 Note
 プルダウンからマウスを外すと
 元の画面に戻ります。

Copyrights ©2003 Nihon Keizai Shimbun,Inc. All Rights Reserved.
Copyrights ©1995-2003 The Hokkaido Shimbun Press. All Rights Reserved.
本サービスに関する知的所有権その他一切の権利は日本経済新聞社、北海道新聞社またはその情報提供者に帰属します。
また本サービスは方法の如何、有償無償を問わず契約者以外の第三者に利用させることはできません。